身体が目覚める牧場

●どうせ行くなら癒しの旅. TRINITY Vol.5, p.106-107.,潟Gル・アウラ, 2003年1月.


極限の苦しみの中から結実した癒しの牧場

 「人の考え方を変えていこうなんていうことじゃなく、自分のほうが先に気がついたら、変わってしまえってことですよ。…(本当に厳しい状況に追い込まれても)そうならずに切り抜ける方法が見つかってくるんですよ、もがいてるうちに」

 そんな斎藤節の数々は、自著の『牛が拓く牧場』と、印象的な言葉と風光明媚な牧場の写真が美しい『いのちの輝き感じるかい』(共に地湧社)に詳しい。その言葉は何気なく言っているようでいながら、努力に努力を重ねても報われない苦労の中から手づかみで体得したもの。それはまさに真実。それ以上でもそれ以下でもない重みをズンと感じる。

 山形に生まれた斎藤さんは19才の時、北海道の開拓団に参加。与えられたのは一番奥の荒れ地だった。夕方に鍬をふるうと、石に当たって火花が散る。働けば働くほど苦しくなるような日々。そんなある日「山のてっべんに登って、周りを見ながら考えたんですよ。…自然に溶けこめば、金はもうからなくても生きていけるんじゃないのかいってね」。

 行き着いたのがこの土地ではこうするしかなかったという方法。山火事の心配がない夏から秋にかけて野に火入れをし、土に種が定着しやすくなるように焼け跡の灰に牧草の種を蒔く。そこへ牛を入れることで、成長の早い雑草は牛の格好のえさになり、踏まれた重みで牧草の種は土に埋まって発芽しやすくなる。まさに「牛」が歩いて「拓いた」という言葉どおりの方法なのだ。石だらけの土地はやがて、牧草が覆いつくす美しい牧場に変わった。それが蹄耕法というニュージーランドなどでよく行われている方法だと知ったのは随分後になってから。「人間が必要以上に手を入れない、牛にできることは牛にやってもらう」。見事な発想の転換ともいえるが、苦悩の果てに到達するべくして到達した、これ以外考えられないほどの調和がそこにある。しかし自然を敬い、鋭く観察することから得た多くの気づきがその視点を支えている。大切なのは「原点に帰ること」「自然を大事にすること」だと言う。

「牧場はみんなのもの」斎藤さんのもとに集まる人々

 そんな斎藤さんを慕って全国から様々な人がやってくる。最近では「化学物質過敏症」で住む場所が見つからない人々もここへきて暮らしているという。自然に溶け込み、導かれてここまできたと考え、「牧場はみんなのもの」と断言する斎藤さんの牧場には、数件の山小屋やログハウスが建つ。幼稚園児や小学生の遠足、また修学旅行で立ち寄る学校もあるのだという。「最近は疲れて不調気味の女性も多いようですが」と斎藤さんにうかがうと「1週間くらい牧場に来て身体を休めるというのもいいものですよ」と、その言葉は穏やかでまっすぐで温かい。斎藤さん自身は昔から変わらないのに、いつのまにか周りの憧れの生き方になっている。でもそれも自然に受け止めて、訪れる人々すべてに慈愛に満ちたまなざしを向けている。




戻る