1.世界の放牧・遊牧と農耕

オリエント文明と砂漠 / 慶応義塾大学文学部教授 小川英雄
騎馬民族は日本を征服したか
北方遊牧民族の活動 /

2.イギリスのエンクロージャー

 中世ヨーロッパでは家畜の放牧と農耕を組み合わせた三圃制度が普及していたが、 イギリスでは15世紀後半になると、気候寒冷化により毛織物産業が発達し、 羊毛の需要が増加したことにより、 一部の領主や富農による共有地の牧場化、いわゆる「囲い込み」運動が発生した。 家畜を柵で囲い込んで羊を飼う牧場の始まりである。
 これは第一次エンクロージャーとして知られ、土地を奪われた農民が都市に流れ込み、 労働者階級を生んだ。このことをトーマス・モアは「ユートピア(1516年)」で「羊が人を食う」と批判した。

3.アメリカ肉牛産業の芽生え

1)背景
 15世紀の末から16世紀のはじめは、スペイン、ポルトガルをはじめとする西欧諸国が、 大西洋やインド洋に進出していった大航海時代であるが、1492年にコロンブスが新大陸に上陸して以来、 西欧諸国からの移民は、土地私有の概念を持たないアメリカ先住民インディアンから土地を略奪し、 バイソンを乱獲していった。ことに独立戦争(1775年 - 1783年)後、合衆国が獲得した領土は公有地とされたが、 1785年以降、その一部は民間に払い下げられた。また、1862年にはホームステッド法が施行され、 公有地の無償分与により西部開拓が積極的に推進された。

2)家畜牛の導入(スペイン−メキシコ−アメリカ)
 コロンブスの2回目の航海(1494年)で、牛馬が初めて新大陸(西インド諸島ハイチ)に持ち込まれた。 その後、メキシコに銀鉱が発見(1546年)されると牛の需要が急増し、牛の管理と移動を行うバケーロ(vaquero)という メキシコ人のカウボーイが養成された。17世紀後半にはメキシコからテキサスに牛200頭と馬400頭が持ち込まれた。 このとき牛馬を草原に雌雄一対にして放したことや、これ以外にも家畜牛が野生化することによって、 18世紀のテキサスの草原では、バイソンが急激に減少していく一方で、テキサス・ロングホーンが増加していった。

3)カウ・ハントとロングドライブ
 テキサスの肉牛産業は、草原に野生化して増加した牛を捕獲(カウ・ハント)して消費地帯に送る キャトルドライブ(ロングドライブ)に始まる。  1848年にカルフォルニアに金鉱が発見されると、ゴールド・ラッシュにより牛に対する需要が急増し、 テキサスからカルフォルニアへのロングドライブがはじまった。 さらに、南北戦争(1861年〜1865年)後には、テキサスから北部へのロングドライブが盛んになった。

4)ラウンド・アップと牛の囲い込み
 1870年代には、所有する牛への焼印(ブランディング)が普及し、所有権の不明な牛の捕獲(カウ・ハント)から、 所有権のある牛の捕獲(ラウンド・アップ)が一般的になった。また、有刺鉄線が開発されて、 西部開拓の農家は牛や野生動物に耕地を荒らされないように柵で囲い、 牧場経営者は自分の利用している広大な草地を牧柵で囲うようになった。 牧柵で牛を囲って飼う牧場の出現により、アメリカの肉牛産業は大きく成長していくことになる。

「カウボーイをとりまく思想 --その実像と変貌--」,Mitsuhiro McNab ほか以下のサイトを参考にした。
北アメリカの植民地化 アメリカの征服とヨーロッパの変容 (世界史講義録,金岡新)
アメリカ史/小塩和人(上智大学)
ホームステッド法 世界史の研究(松本徹)


参考:フロンティア・スピリットの双対問題

インディアンの精神文化
『ラスト・サムライ』の中の「インディアン」 中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)
ミタクエ・オヤシン−ホワイト・バッファローの教え 中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)



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