牛が拓いた斉藤晶牧場
斉藤晶さんは、「山(自然)を総合的に見て、活用できるものを
工夫して組み合わせるのが農業」であり、その「農業に現れた自
然の素晴らしさを皆さんと分かち合うことも、農業の役割です。」
と、牧場を市民に開放している。しかし、そこに至る過程には、開拓時代
のがけっぷちに追い詰められた苦労からの価値観の転換があった。
開拓時代の斉藤さんは、石ころだらけの山地を自分の力で克服しよ
うと努力したが、その努力は決して報われることはなく、働けば働くほ
どに苦しくなっていく失意の毎日が続いたという。そして、「この
山で自分は肉体を駆使して、その上お金まで使って苦労に苦労を重
ねているのに、小鳥や昆虫は苦労もなく悠々と暮らしているではな
いか。この違いはどういうことか。それは彼らが人間のように自然
に立ち向かっていくのではなく、自然という循環の中に溶け込んで
いるからだ。ならば、人間も虫と同じ姿勢で生きていけばいいでは
ないか。この広大な山に溶け込めば、何とか生き残れるはずだ。」
という思いに至ったという。
そして、「人間のいうことなんかとりあえず置いておこう。自然の
中から自分が感じたものを組み立てていくしか、今は方法がないでは
ないか。」と自然に学びながら農業をやることに発想を転換した。
自然に学びながらの牛の放牧が、美しい牧場を拓かせたのである。
私もこの牧場に立つと、近代技術の無力さと愚かさが骨身に染みいる
思いがする。ここには現代に問いかけられている様々な課題を考える
材料が宝の山のようにある。
私たちは、「厳しい環境を人間の力で克服して、それも競争によって
成果を得る」という価値観を経済システムから求め続けられてきた。
しかし、科学技術の発展に支えられている経済のグローバル化という
妖怪は、人が自然の一員として生きていく根っこである農林業
を破壊し、共同体として生きていく根っこである地域社会を破壊して
いる。また、考えていく根っこの共通感覚も、科学という細分化の論理のもとに萎えて、
閉じた世界に引きこもり、自己中心的で考える力を失った個人が多くなっている。
今を共同体として生きていく文化が育たない中で、居場所を失った
個人が乾いた人間関係からはじき出されて、さまざまな犯罪を引き起こしてもいる。
今、斉藤さんの開拓時代のように、社会が追い詰められた状況にある。
斉藤晶さんはパラダイム転換によって、自らを呪縛していた開拓時代
の境遇から解放された。社会はどうすればこの閉塞状況から解放され
るのであろうか。
斉藤牧場の位置
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